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【禁欲0日目】恋人は何人もいらないけど、セックスは何人ともしたい

いやーしばらく何も書いてなかった。 18年8月からか。1年と7か月か。 いまは彼女以外の女性とセックスがしたくて葛藤している。 彼女に申し訳ないし、一緒に暮らしているからそんなことをする時間も持てない。 でもしたい。風俗じゃだめなんだよね。なぜだろう。 どうも自分は、女性とセックスだけの関係になれない。 あれから何人かの女性とデートする機会があったけれど、 「これはセックスできるな」って雰囲気になったころには 相手が恋人関係を期待しているようなフシがある。 2度、そういうことがあった。 自分がセックスしたくて、相手を喜ばせるようなことをペラペラ言ったせいもある。 でも結局は、傷ついている女性に申し訳なくなるし、 後から気まずくなるので、そういうことはできなくなった。 セックスするのは意外と簡単だった。 でも違うんだよね〜。好かれてセックスしたいんじゃないんだよね。 恋人関係も求めていないし。 むしろ好意もなんもない。エロいことのためだけの関係がほしい。 最近はずっとそんなことを考えてて、なんも進展がない。 とりあえずオナ禁と瞑想を再開しよう。

【禁欲1日目】「出会い系はじめたら負けかなと思ってる」

tinderをはじめた。 東カレの「膣ドカタ」で一躍有名になった海外発の出会い系アプリだ。 出会い系にはずっと拒否感があったし今もそれは変わらない。 俺はさみしさに負けて、ついに出会い系に手を出してしまった。 同じく「さみしさ」を埋め合わるためのサービスに風俗があるが、 風俗には「本当の情愛 」 なんて一切期待しない。 出会い型でつながりを求めるのはそれとは違う。 うーん、うまくいえない。 風俗は前提にあきらめがある。 いや、もちろん結局は「人間 対人間 」 の営みなので、 出会い系は違う。 女性たちは平気で「恋人募集」なんて ここでうまく立ち回れれば、オフパコの一つや二つ余裕なんだろう。 宗教にすがる人を「あいつは弱い人間だ」と、見下すような拒否感だ。 今、そんな敗北感を感じている。 個人的には出会い系の方がよっぽどいやらしい気がする。 (別に風俗が嫌らしくないわけじゃないが。) それっぽいやり取りがあったとしても、その場限りの嘘として楽しむものだ。 「人間らしい触れ合い 」 を誰かがお誂えた「システム」が提供 するのが 矛盾するように感じてしまうのだ。 過程をすっ飛ばして、お金を対価に「仮初め」の満足を得るサービス。 なので、それを利用することは 一種の自傷に近く、 ナイーブな 「人間らしい触れ合い 」へ 期待はない 。 一般社会と同じような社会性を持って相手と対峙するが 、 しかしそれも、嬢と客という関係性を維持するためだけのものだ。 仮初めじゃなくて「マジ」だ。 恐ろしいことを書いている。 つまり、風俗を利用するのと同じ諦念によってコミュニケーションを図り、 また同じ諦念を持つ女性と付き合い、同じように仮初めの満足を得るのだ。 いやそんなこと求めてないので考えてもしょうがない。 でもそれが出会い系を健全に使いこなす、唯一の方法のような気がする。

【禁欲1日目】オナ禁と孤独感に因果関係がない

俺にとって一番の問題はさびしいことだ。 ほんとに寂しい。寂しくて辛い。 だれーかーたすーけてー 今、もう一度オナ禁にチャレンジしてみようと思い この文章を書き始めるまで、俺は恐ろしく寂しい気分だった。 さびしさは自分とほかの人とを比較した時に感じるようだ。 今日、以前親しくしていた女性と久しぶりに会い食事に行った。 彼女はなんだか昔よりきれいになっていた。 彼女は俺が以前会った時とは違う男と付き合っていた。 来月、その男のいる国へ移り住むという。 別に普段から彼女に特別な感情を抱いていたわけじゃない。 もう別れてだいぶ経っているし「久しぶりに会おうか」ってなったときも 期待なんてしていなかった。 でも、たくさんの友人や素敵な恋人がいる彼女の話を聞いていると 悲しい気持ちや執着心が湧いてきて、 気がついたら俺は彼女の手を引いてしまい、 丁寧に謝られ、惨め。 ああ惨め。 なんだかね、やってらんないわ、もう。 オナ禁なんてやったところでさー 精子出さないことと、このさびしさには、 何も関係が無いよね。何の関係もない。よね? 「オナ禁やってりゃ、よくわかんないけど色々うまくいっちゃうらしい」 そんなことあるわけないじゃん。 これは「信じれば救われる」といってる宗教と変わらない。 ずっと抱えてきた寂しさの問題は今更解決できない、っていう無力感から 「寂しい」って問題から眼をそらして、具体的な行動が出来ない状態に陥っている。 それが俺。 この女に限らず、誰彼かまわず優しい人にはすごい執着してしまう。 もう小さいころから変わらない。 小さい頃は兄が大好きでいつも後をついていた。 ある日「ついてくんなっ!」って拒絶されてものすごい傷ついた記憶がある。 執着してメンヘラになるくせに、メンヘラ化した自分が拒絶されるのがとても怖い。 そんな自分がわかっているから なるべく人と関わりたくない、でもさみしい。 嫌な刺激を与え続けられたネズミが最後は無抵抗になるように、 俺にはこの痛々しい中二病的な感性を自分でなんとかするのはもう無理だ。 俺にとって、オナ禁は一つの信仰だ。 (ホーリーランドであったなこんなセリフ) オナ禁が成功すれば、逆を言えば「問題は解決する」っていう 信念...

【1日目】リセット

30日目標にがんばります!

【15日目】性欲ってなんだろう(ネットのせいか)

ここ数日は筋トレを始めたせいか性欲が急激に上がってしまい、初めの2〜3日よりも辛かった。ほとんど寸止めまで行ってしまったので、リセットとして扱ったほうがいいような気もするが、リセット認定したらしたで「じゃあ満足行くまでやればよかった!」という気持ちになるはずなので今回はセーフ!(なんじゃそりゃ)。 【アルコールは自制心を弱くします】 寸止めまで行ってしまった原因は、ちょっと人間関係で憂鬱になることがあったことと、それを紛らわすために酒を飲んだことだと思う。 酒の影響は特に大きかった。アルコールは理性的な心の働きを妨げる力がとても強い。仏教で飲酒が禁じられているのも納得だ。僕はは普段酒をほとんど飲まないこともあって、禁欲中に酒を飲むとどれほど辛いのか予測を誤ってしまった。オナ禁中は一人で酒やその他ドラッグをやらないほうがいい。 【性欲のそもそも論】 ところで「性欲」とはそもそもなんぞや。自分で書いておきながら、どうも「性欲が湧く」とか「性欲が上がる」といった表現に引っかかる。 いったい性欲はどっから「湧いて」くるのか?  性欲が「上がる」って喩えを使う時、具体的に僕は何を思ってそのように言うのか?  ていうか、性欲は「思う」もの?なの?か? 性欲を解消しなかったからといって、ある日突然ちんちんがポンッと爆発するようなことはない。その点で性欲は睡眠欲や食欲とは質的に異なる。「私」の生存に不必要な、「私」を超えた目的のために与えられている、不思議で特権的な欲求だ。 (仮にすべての人が性欲がまったく持たない世界を想像すると、ずいぶんと苦しみが少ないことがわかると思う。僕にはこれが、人間は自分のためだけに生きることができないことの証拠のように思える。) ちょっと食欲と性欲で似ているなと思うのは、欲求を解消する行為の対象に嗜好性が介在することだろう。巨乳がいい、いやスレンダーがいい。イタリアンがいい、いや中華がいい。といった感じに。 プリミティブな欲求には、和食もフレンチもなければ、ぽっちゃりもSMもない。僕の食べ物の嗜好は、生まれてこのかた口に含んだいろいろな料理の味や、誰とどこで食べたかといった記憶、食あたりした経験、社会やメディアが料理に与える印象など、さまざまな記憶とそれに付随する感情によって編まれている。 ...

【14日目】オナ禁の嘘

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どうしてもオナニーしたくなったので「なんで俺はオナ禁なんてやってんだろう」って自問自答している内にこんなことを思いついた。 オナ禁をやろうと思う人は多かれ少なかれ不幸な人だ。 幸せな満たされた人間がこんな苦行を必要とするわけがない。 オナ禁に挑戦する不幸な人は、それはそれは日常のあらゆる場面で惨めな思いをしているまじめで人間的魅力がない人だろう。学校や仕事や一人の時間ですら、本当に満ち足りた気持ちになんてなったことがない。 そこで人生をなんとかしたいと藁にもすがる思いでオナ禁をするわけだが、この行動はよくよく考えたら全くおかしい。というのも、問題があるのは彼の不幸な、うまくいかない実生活で、オナニーすること自体は全くもって悪いことじゃないからだ。 ドアを開けるために牛を連れてくるとか、犬と散歩したいので冷蔵庫でかくれんぼするとか、この現象を喩えてみるならそれぐらい意味がわからない。 Aという欲しいものがあればAを追いかけるべきで、BやCは関係がない。 これに反論する人は、いつかオナ禁のおかげでAという欲しいものを追求できるようになるのを待っているのかもしれない。でもそれは間違っている。なぜなら、待つだけではいつまで経ってもなにも始まらず、欲しいものがやってきてくれることも無いんだから。 オナ禁によって何か変化を起こしたければ、オナ禁以外に新しい行動を、それも、自分の欲しいものを手に入れるための直接的な行動を起こしましょう。という、あたりまえの話でした。(もちろんあなたが欲しいものがオナ禁ならぜひやってください。) H Jungle with t / WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント

【13日目】本当のピンチの時は前よりも後ろを見る

オナ禁の道は長い。 先を見ると果てしなく感じて続かないし、 先を見なくてもモチベ不足だと挫折しそうだ。 そういう時は後ろを見よう。 13日目でリセットすると、これまで我慢した12日間が無駄になる。 たとえすぐにリカバリできて、その後オナ禁を続けられたとしても、 ルール上リセットしたら一からのチャレンジになってしまう。 もう一度今と同じ地点までたどり着くには同じだけの12日間が必要になるし、 12日目に改めてたどり着いた時には、もしリセットしなかった場合と比べて倍の差がついている。当たり前だけど。 だから一時の気の迷いでリセットするのはあまりにももったいない。 オナ禁のルールも目標日数もすべて自分との約束だから本来無意味なんだけれど、自分との約束で決めたことだから守ることそのものに意味があるし、安易に「じゃあ減オナでいいや」なんて言ってしまったら、元も子もない。 もはやオナ禁の効果なんてどうでもいい。 自分のために90日やり遂げようと改めて強く思う。 〜〜〜〜〜〜 今日読んだヨガの本に、衝動について参考になる本があった。 いわく、心には粘着性がある、そして多くの人間は心が何に粘着するのか無自覚でコントロールすることができていない。 まさにその通りだ。 エロいことに興奮するそのはじめの瞬間、無自覚的に自分がどちらの方向に向かうのか 選んでしまっている。ひとたび欲望の対象となる思念に心が粘着すると葛藤・苦しみが生じる。 そういった、心の粘着性を乗り越える手法がヨガの呼吸らしいのだけれど、 まだ詳しく読んでないからシラネ。 とりあえずヨガ始めたし丹田呼吸とか調べてみっかな。