【15日目】性欲ってなんだろう(ネットのせいか)


ここ数日は筋トレを始めたせいか性欲が急激に上がってしまい、初めの2〜3日よりも辛かった。ほとんど寸止めまで行ってしまったので、リセットとして扱ったほうがいいような気もするが、リセット認定したらしたで「じゃあ満足行くまでやればよかった!」という気持ちになるはずなので今回はセーフ!(なんじゃそりゃ)。

【アルコールは自制心を弱くします】

寸止めまで行ってしまった原因は、ちょっと人間関係で憂鬱になることがあったことと、それを紛らわすために酒を飲んだことだと思う。

酒の影響は特に大きかった。アルコールは理性的な心の働きを妨げる力がとても強い。仏教で飲酒が禁じられているのも納得だ。僕はは普段酒をほとんど飲まないこともあって、禁欲中に酒を飲むとどれほど辛いのか予測を誤ってしまった。オナ禁中は一人で酒やその他ドラッグをやらないほうがいい。

【性欲のそもそも論】

ところで「性欲」とはそもそもなんぞや。自分で書いておきながら、どうも「性欲が湧く」とか「性欲が上がる」といった表現に引っかかる。

いったい性欲はどっから「湧いて」くるのか?  性欲が「上がる」って喩えを使う時、具体的に僕は何を思ってそのように言うのか?  ていうか、性欲は「思う」もの?なの?か?

性欲を解消しなかったからといって、ある日突然ちんちんがポンッと爆発するようなことはない。その点で性欲は睡眠欲や食欲とは質的に異なる。「私」の生存に不必要な、「私」を超えた目的のために与えられている、不思議で特権的な欲求だ。

(仮にすべての人が性欲がまったく持たない世界を想像すると、ずいぶんと苦しみが少ないことがわかると思う。僕にはこれが、人間は自分のためだけに生きることができないことの証拠のように思える。)

ちょっと食欲と性欲で似ているなと思うのは、欲求を解消する行為の対象に嗜好性が介在することだろう。巨乳がいい、いやスレンダーがいい。イタリアンがいい、いや中華がいい。といった感じに。

プリミティブな欲求には、和食もフレンチもなければ、ぽっちゃりもSMもない。僕の食べ物の嗜好は、生まれてこのかた口に含んだいろいろな料理の味や、誰とどこで食べたかといった記憶、食あたりした経験、社会やメディアが料理に与える印象など、さまざまな記憶とそれに付随する感情によって編まれている。

そして恐らく、食の嗜好が生まれつき決定していないことは生存に有利だったはずだ。イヌイットの人々はアザラシの腹で発酵させた鳥の内臓をおいしいと感じる嗜好を持てるのでビタミンの欠乏から間逃れることができる。

性欲もまた食欲と同様に、その人のライフヒストリーや生得的な傾向がプリミティブな欲求に形を与えているんだろう。心理学のテキストかなんかで読んだ話だが、SM嗜好の持ち主には体を拘束される“しつけ”を受けた人が多いという。拘束が、解放と親からの許し(ときには「ごめんなさい」という優しい言葉や暖かいハグ)という「快」の経験とセットになって記憶されることで、性的な嗜好が“アブノーマル”な形にシェイプされるという(ほんまかいな)。

腋フェチ、脚フェチ、ブーツフェチといったフェティシズム。あるいは、数えきれないほどの「ジャンル」「プレイ」「タイプ」「シチュエーション」。果たして僕らの生存に与するはずの学習は、複雑で背徳的な嗜好と尽きない倦怠をもたらした。そして、新たなドーパミンソースを生み出しつづける市場は、僕らの下半身を完璧に握りこむことに成功したように見える。これはインターネットの高速化と、それによるポルノの偏在化がもたらしたことだ。

ここでもう一度本題について考える。

「欲求」は「欲しい私」と「私が欲しいモノ」の対でないと成立しない。
「私が欲しいモノ」は嗜好によって選別された具体性を伴うモノとして認知される。
よって対象を持たない「プリミティブな欲求」は認知できない。

「あ、おれムラムラしているな」と気づいたその時には、この「欲しい私」と対になる、想念、図像、イメージ、などが心にあるはずだ。相手がリアルの人間だって嗜好性の選別にマッチするかしないかで選別しているわけだから、欲情するイメージをリアルに重ねているにすぎない。

言い換えると何に欲望するか、もすべて習慣?
欲求の対象をすりかえる。

疲れた。続きはいつか考える。



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