【8日目】下書き

悪い考えを持たないほうが良い理由は、なによりも自分のためのはずだけれども、
問題は何が良くて何が悪くないのか、はっきりとわからないことだ。

人間は自分の「苦」を取り除くか、あるいは「楽しいこと」のため、つまり「幸せ」のために生きている。
だとすると、幸せに奉仕する行いが善で、苦しみを増やす行いや、つまらないことが悪だと言える。

たとえば、報復心から犯人の死刑を主張する男がいる。
彼は自分が苦しみから逃れるためには、その相手が死ぬ必要があると考えている。
この場合、死刑は善と言えるだろうか。

たとえば、医者に止められているにも関わらず、毎日大量のアルコールを摂る男がいる。
彼は、彼の憂鬱を晴らすもっとも間違いのない方法はアルコールを摂ることだと思っている。
それによって彼が財産と健康をなくし、周囲の人が悲しい思いをしたとしても、飲酒は善だろうか。

たとえば、俳優になるという夢を持った青年がいる。
青年は演技することに幸せを感じ、より多くの人に自分の才能を認めさせたいと思っている。
しかし、青年の父は、彼が家業を継ぐことを望んでいる。
青年が俳優になれば父は大いに苦しみ、青年が家業を継げば父は大いに喜ぶだろう。
青年にとっての良い事と、父にとっての良い事が異なるのはなぜだろうか。

「善」や「悪」が人によって異なるなら、それはただの「嗜好」だ。
ぼくらは最大公約数の「嗜好」を道徳と言い換え、
何が良くて何が悪くないのかわからないまま、

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